日本の食文化を彩る醤油のルーツ、「湯浅の醤油」の歴史

平安時代より、熊野信仰の拠点として人々が集まる地であった湯浅。この街は、日本の食文化には欠かせない醤油づくり発祥の地でもあります。
湯浅の醤油の歴史は古く、鎌倉時代にはじまります。禅僧である覚心(法燈国師)が修行のため宋(現在の中国)の径山寺に渡ったのが建長元年(1249年)、それから6年後に覚心は帰国します。その際に修業と共に径山寺で学んだのが、夏野菜を漬け込んでつくる「径山寺味噌」でした。これは、現在の「金山寺味噌」といわれています。
覚心は帰国後に後醍醐天皇より、現在の和歌山県由良町にある興国寺を賜り、熊野地方に布教を始めます。湯浅の地は、もともと水質がよかったこともあり、布教と共に伝えられた味噌づくりが盛んになっていきます。

味噌づくりの過程では、野菜を漬け込むため余分な水分が出てしまいます。カビや腐敗を避けるためにその水分は捨てることになっていましたが、湯浅の人々は調味料として使ってみました。そして、その美味しさに驚き、この新しい調味料だけを製造し始めたのです。これこそが、日本最初の醤油が誕生した瞬間です。このような歴史が認められて、湯浅の醤油は文化庁が認定する「日本遺産」に選ばれています。

出典:湯浅町ホームページ
 

醤油発祥の地で育まれた伝統製法、長期間醸造が可能にする絶妙な味わい

湯浅の醤油は、室町時代の中期から後期には商品として製造されていきます。港町としての地の利を活かして、船で醤油を出荷するなど、海路で醤油を広めていきました。江戸時代になると、醸造技術の進歩と紀州藩による保護体制もあり、造り醤油屋は92軒にものぼったといいます。しかし、明治以降は紀州藩の保護もなくなり、特に昭和に入ってからは大手メーカーの大量生産品に押されて、現在では数件の製造元を残すのみとなっています。

もちろん、湯浅の醤油の伝統が終わってしまったわけではありません。現在残っている製造元では、厳選した素材を使って、恵まれた水質による手造りの仕込み、1年から2年という長期間の醸造により、大量生産では到達できない絶妙な味わいをつくり出しているのです。湯浅町内には現在でも、江戸時代から続く老舗が存在し、昔ながらの伝統的な製造を守り続けています。また、一度は醤油づくりを中断したものの、近年再開した「丸新本家」など比較的新しい企業でも伝統的な製法を守って製造を続けています。


町並みに溶け込む醤油の文化

JR湯浅駅から北西方向に15分ほど歩くと、町家や土蔵が建ち並ぶ町並みを見ることができます。これは、醤油醸造など商工業を中心に発展した町並みとして、その歴史的な価値から「湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区」として文化庁に指定された地区です。 16世紀末期頃に開発されたといわれる一帯には、醤油の町らしく、醤油醸造家の主屋であった町家や醸造業に使われた土蔵が建ち並びます。建物は商人の家らしく機能的で、醤油づくりの際に火災が発生することを恐れて、2階の窓や壁は漆喰により塗り固められる独自の処置が施されています。また、保存地区の北側、山田川沿いには、醤油の材料や商品出荷をおこなった内港「大仙堀(だいせんぼり)」もあり、町全体が醤油づくりのためにつくられたといっても、過言ではないでしょう。

この地で誕生した「醤油」は、今や日本の食文化になくてはならないものになりました。さらには、日本だけに留まらず、「SOY SAUSE」として世界的な調味料となった醤油。湯浅町は、その発祥の地として、連綿と受け継がれた「最初の一滴」の伝統的な味わいを世界に発信し続けているのです。

醤油醸造発祥の地は、「最初の一滴」の伝統を受け継ぐNo.303615-03-0001

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