食べる味噌「金山寺味噌」は、保存食だった

金山寺味噌は一般の味噌とは違い味噌汁などには使うことはなく、そのまま食べることを目的としています。食べる味噌ですから、塩辛さは普通の味噌よりも抑えられていて、野菜などの具材が多く、まろやかな味わいです。
製造方法は瓜や茄子、生姜や紫蘇などを麦麹や大豆などと合わせて、醸造したものです。昔は冬季にほとんど野菜が収穫できなくなるため、夏に豊富な野菜類を保存する、保存食として古来の中国大陸で考えられた食品といわれています。日本には鎌倉時代に伝承され国内に広まりを見せるのですが、その歴史には、湯浅が大きく関わっています。

 

醤油づくりの契機ともなった金山寺味噌

湯浅町は、日本で最初に醤油を製造した町として有名です。室町時代から江戸時代にかけては、「醤油の町」といわれるほど醤油づくりが盛んでした。その「湯浅の醤油」が誕生する契機となったのが、約750年前に伝えられた「金山寺味噌」だったのです。

出典:湯浅町ホームページ
 

禅僧である覚心(法燈国師)が1254年、宋(現在の中国)の修行から帰国、現在の和歌山県由良町にある興国寺から布教をおこないます。同時に修行先であった宋の「径山寺(きんざんじ)」で得た、野菜を使った味噌作りの手法も伝えていきました。近隣である湯浅の地にも仏教の教えと共に味噌作りが伝えられ、製造工程で出る水分が醤油として発達していきました。

 

金山寺味噌づくりに適していた湯浅の風土

金山寺味噌の製法が伝えられると、湯浅では盛んに製造されるようになります。ほかの地域でも製造はおこなわれていましたが、紀伊山系から湧水する上質な水と温暖な気候が金山寺味噌づくりに適していたため、多くの味噌蔵が湯浅の地を選んだのです。
江戸時代には第8代将軍となった紀州徳川家出身の徳川吉宗が、自分が好んでいた金山寺味噌を、紀州藩から幕府へ献上させ江戸にも広まったとの説もあります。

 

伝統製法を守る、湯浅の金山寺味噌は食べごたえあり

湯浅町には現在でも数件の金山寺味噌製造元があり、750年前から受け継がれる伝統製法を守りながら製造を続けています。湯浅でつくられる金山寺味噌の特徴は、漬け込んである野菜が多くて大ぶりなこと。本来の目的である「野菜を食べること」にこだわっている証拠です。

出典:湯浅醤油「丸新本家」様ホームページ
 

特に注目したいのが「湯浅なす」。丸いかたちが特徴的で、直径10cm、重さは400g近くにもなります。実が詰まって水分が少なく、金山寺味噌をつくるために湯浅で栽培されてきた固有種です。この湯浅なすをたっぷりと入れることによって、湯浅の金山寺味噌には、ほかにはない食べごたえを感じることができるのです。しかし現在では、この湯浅なすを使っている製造元も少なくなってきています。

出典:湯浅醤油「丸新本家」様ホームページ
 

伝統の味は、アレンジしても美味

金山寺味噌の一番美味しい食べ方は、そのまま食べること。白いご飯と一緒に食べても、お酒のおつまみにしてもピッタリです。まず最初は、古来から続く伝統の保存食を味わってください。

そして、金山寺味噌は、ほかの料理に調味料として使うこともできます。例えば、マヨネーズと合わせてタルタルソース風にすれば、大ぶりな具材とマヨネーズが混ざり合い、コク深い味になります。
また、もともと味噌とは相性のよい豚肉にも使ってみてください。金山寺味噌特有の甘みとコク、そして具材の食感が豚肉と合わさり、絶妙な味わいが広がります。

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